陸・上・人・生
プロフィールにも書いたが、自分は陸上競技を10年続けている
中高大と全て陸上部に所属している
気づけば自分の青春と切り離せないほど、陸上競技というものが自分の中で大きくなっていた
他の部活の人からはよく「陸上部の練習はきつい」「ただ走ってるだけでなにが楽しいの?」などよく言われた
自分もなぜ走るのが好きなのかはよくわからない
「なんか好き」なのだ
今回は自分の陸上人生をザっと振り返ってみる
ちな、専門は110mH
〇110mHの簡単な説明
110mの間にハードルが計10台並べられており、そのタイムを競う
ハードルの高さは中学で91.4cm、高校・大学・一般で106.7cm
スタートから1台目のハードルまでの距離は13.72m、ハードルのインターバル間は9.14m
基本的にはスタートから1台目まで7or8歩で、インターバルは3歩(リード足の着地は歩数に含めない)で駆け巡る
ハードルは倒しても問題ないが、膝がハードルの下を通ったり、故意に倒したと審判長に判断された場合には失格となる
<中学生時代>
もともと硬式テニス部に入ろうと思っていたが、軟式テニス部しかなかった。
軟式テニスはあまりやる気が起きなかった
小学生時代リレーの選手に何回か選ばれることがあって少し自分の走りに自信があったこともあり陸上部への入部を決断
入部当初は楽しそうだから「走幅跳」を専門にした。
が、1年の夏だったかそのくらいの時期にハードルへ移行。
理由は、うちの学校でハードルが伝統だったのと、小学校時代ハードルの授業で先生にリード足が伸びててきれいと褒められて少し自信があったからだった気がする。
ハードル競技は技術が身につけばどんどん記録は伸びていくので、1年→2年→3年と順調に記録を伸ばした。
が、3年生の最後の大会で目標のオール3歩(ハードルのインターバル間を全て3歩で跳ぶ)が達成できず無念、、
悔しさが残りモヤモヤした状態で、中学校生活終了
悔しさがあったものの、中学の陸上競技で県大会に出場でき、また賞状を計2枚獲得できたのはかなり嬉しかった
<高校生時代>
迷うことなく、陸上部へ入部
ハードルの高さが91.4cm→106.7cmとなった
急に上げすぎじゃね!?
一台超えるのに精いっぱいで、超えるたびにスピードがガタ落ちする
インターバルを3歩で走れたもんじゃない
初戦は1台1台しっかり上にジャンプしてゴールした
それから1年過ぎて2年の高校総体
春にけがをしてあまり練習が積めないまま迎えた
高校総体前に出場したレースもボロボロだった
不安を抱えながら「On your mark」「Set」「バンッ!」を聞いて1歩目を繰り出す
隣のレーンがフライングしていた。しかし、何事もなかったようにスタート
少し焦った
が、意外と走れた
なんと初めてオール3歩で走り切ることができたのだ
タイムは特別速くなかったが、初めて3歩で10台跳べたことは大きな自信になった
陸上競技は伸びるときは急に伸びる。もちろん練習を積むことは大事だが、それが必ずしも毎回タイムに反映されるとは限らない。積んできた練習が形になったのか、成長期によるものなのか、なにが原因かはっきりとはわからないが伸びるときは大幅に伸びる。
自分はそれが陸上競技の面白さの一つだと思っている
今回はおそらくけが前の冬季練が形になったのだと思っている
「ザっと」振り返るつもりだったが思いのほか書きたいことが多かったので、高校2年生時代以降は次回書くことにしよう
ではでは~